■長垂海浜公園
住所:福岡市西区今宿駅前1-22
海と住宅街が繋がる、今宿の心地いい暮らし。
天神・博多から列車で30分弱。都会の喧騒から離れ、潮風が吹く今宿(いまじゅく)へとやってきた。駅の周りや国道202号線添いには大型店や飲食店が建ち並んでいるものの、大通りから1本入るとすぐに穏やかな海へと繋がる。ゆるやかで心地よい空気感に包まれた海街、今宿。自然と心を解きほぐすこのまちの魅力をもっと深く知るために、海岸沿いでパン屋を営む『ヒッポー製パン所』の店主・安元信一郎さんに話を聞いてみた。
海と住宅地がひとつづきになった、理想のまちで独立を果たす。
『ヒッポー製パン所』を営む安元さんは、自らの肩書きを「店主」ではなく「所長」と名乗り、地域の住民からも「所長さん」と呼ばれている。もともとはパティシエで、25歳の時パン職人を志して修業を重ねたのちに、2013年に今宿で自身のパン屋をオープンさせた。
出店の際になぜ今宿を選んだのか尋ねてみると、「住宅地でパン屋さんをしたかったから」と安元さん。
「手土産用の高級パンを出すようなおしゃれなパン屋じゃなくていいんです。それこそ若い頃はかっこいいパン屋さんに憧れもしましたが、僕が理想とするのは、朝食のパンをその日の朝に買いに来てもらえるような身近な存在。地域の人々の暮らしに溶け込むパン屋さんでありたいなと思いました」。
それから、“住宅地でお店を開きたい”という想いと、若い頃から親しんでいた“海”が、エリア選びのキーワードに。福岡市近郊で「住宅地×海」の条件で不動産を探す場合、糸島エリアや東区奈多〜三苫エリアが浮上する。その中で、安元さんが糸島半島の最東端・今宿を選んだのには理由がある。一つは、昔から糸島は大好きなエリアで、サーフィンや釣りをしによく遊びに来ていたから。また、もう一つは住宅地と海が一緒になったエリアを探すと、自ずと選択肢が今宿に絞られたから。…というのも、糸島半島にはいろんなビーチスポットがあるけれど、安元さんのように“海沿いの住宅地”にこだわると、今宿の他に選択肢がなくなってくる。
「海沿いの芥屋や二丈は昔からの漁村・農村の雰囲気が色濃く、二見ヶ浦のビーチは観光地要素が強くて、僕がイメージする住宅地とは少し違ってくるんですよね。海沿いの住宅地で店を開きたいと思ったときに、理想が叶う場所がここ今宿でした」
ただ、消去法で今宿を選んだと言うには少し語弊がある。今宿には、“住宅地×海”の環境だけでなく、かつては旧唐津街道の宿場町として栄えていたオープンマインドな気質があり、訪れる人を優しく迎え入れ、ご近所同士が支え合う風土に惹かれたのも安元さんの中で大きかった。
「旅人を迎え入れていた旧宿場町の土地柄なんでしょうね、地元民と移住者が距離を置くような意識がなくて。僕みたいに別の場所からやってくる人を受け入れてくれるし、今も九州大学 (伊都キャンパス)関連の方々や海外の方も続々と移住してきていますが、地元のおじいちゃん・おばあちゃんたちはウェルカムな様子。ピリピリもせかせかもしていない、住みよい雰囲気です」
尊敬する人たちが近くにいる心強さ。うれしくて愛おしいご近所づきあい。
『ヒッポー製パン所』をオープンして今年で7年目。安元さんは昔から今宿に住む“地域の先輩”に昔話を聞いたり、地域ならではのことを教わったり、商売人としての指針を見せてもらっていると語る。
「例えば、店の前で花を植えていたら、通りがかりのおじいちゃんが『その花は海沿いじゃ育たんばい』と教えてくれたり ね(笑)。世話好きの優しい“先輩”から、旧宿場町の歴史話もたくさん聞きました。あと、畑でとれた野菜を持ってきてくれることも多々あって、お裾分け文化の仲間に入れてもらえていることもうれしく思います。おじいちゃん・おばあちゃんをはじめ、この一帯の人々は本当に明るくて元気。“嵐神社”で一躍有名になった『二宮神社』では、おじいちゃんが観光客の子たちに気さくに話しかける姿を見かけますよ」
また、今宿は店舗や事業所などサービス業を営んでいる人が多く、旧宿場町の商売人気質も根付いている。それが他のエリアとは少し異なり、ここならではの魅力に繋がるという。
「商売する上で一番大事にしていることが、お客さんに喜んでもらいたいという想い。お金儲けよりも人に対して何ができるか、どう喜ばせられるか。地域全体でそういった考え方が共通している気がします」
お客さんに喜んでもらいたいからこそ、提供するものに妥協は一切せず、プロとして技を極め、精を出す。そして、なにか困ったことがあれば各分野のスペシャリストが親身に応え、支え合う。みんなの幸せをみんなで創り、喜びや楽しさをシェア。今宿で商売を営む人たちのこういった姿勢に、安元さんはシンパシーを強く感じているそうだ。
大正時代から続く『柴田酒店』。今宿には老舗が多く残っている。
ちなみに、住民目線で自慢できることはどんな部分だろう。そこも尋ねてみた。
「長垂海浜公園で行われる『今宿納涼花火大会』ですね! 住民の皆さん全員が、花火大会をベストポジションで楽しめるんじゃないでしょうか。めちゃくちゃ近くて圧巻ですよ! あとは海沿いを散歩できるロケーションですね。ウィンドサーフィンする人も多くて、ゆったりした空気感が流れ、行き交う人々の表情も穏やかです」
地域行事や日頃のコミュニケーションで絆を深め、新世代へ伝統を繋ぐ。
最近の今宿は、移住者の人口と比例して、ヤングファミリー層も増えているそうだ。昔から住んでいる地元人と新しく住みだす人々がいい具合に共存し、このまちらしい文化を新たに築こうとしている。
「よその家族であっても、地域の子どもたちをおじいちゃん・おばあちゃんらが可愛がって見守ってくれているんですよ。互いに声を掛け合う光景を見て、幅広い世代が仲良く寄り添う今宿って本当にいいまちだなぁと感じます。最近増えてきた外国の人たちもいい子たちばかり。若い人たちも外国人も、地域行事に積極的に参加して、地元の年配者もそれを喜んで受け入れて、みんなが楽しんでいる姿を見るとうれしくなっちゃいます」
海沿いに建つ『二宮神社』。広場にて年中行事、社務所で教室などを開催している
昔からの伝統行事もしっかり守られ、次世代にバトンが引き継がれている。海岸沿いの『二宮神社』を舞台に、赤いふんどし姿の子どもが木製玉を持って家々をまわる「玉せせり」や、子ども神輿や大人神輿が町内を駆け回る「夏越祭」など、深い歴史を持つ行事が今も変わらず行われている。
店の外に出れば、「所長さ〜ん」と手を振る子どもたち。それをニコやかに返す安元さん。500円玉を握りしめてやってくる小学生や、赤ちゃん連れのお客さん、久しぶりに顔を見せる高校生の子たち、おじいちゃん、おばあちゃん。いろんな人が『ヒッポー製パン所』に集まってくる。
「朝早くにパンを買いに来てくれる方や、決まって同じ曜日の同じ時間に訪れるお客さんもいらっしゃいます。そういうシーンを見るたびに、地域の人たちの生活の一部になっていること、そしてみんなの朝ごはんを作らせてもらっていることを実感します。僕の理想とするパン屋が築けて、本当にありがたいです!」
ふっくら焼きあがったパンを、海沿いを歩きながら頬張ってみた。小麦が香る柔らかなパンは、もちろんおいしく、なんだかホッとする。視線の先には穏やかな海と真っ青な空、のんびりと散歩する人々、遠くから聞こえてくる子どもたちの笑い声。ゆったりとした空気感と、あたたかな生活感が混じり合う今宿。あまりの心地よさに、ここで暮らす人を羨ましく思ったのは言うまでもない。生活する上でのささやかな喜びを、今宿でならゆっくり噛みしめて、幸せを育んでいけるような気がする。